どん底のサロメ

どん底のサロメ 蝶丸句集の表紙
  • 著者:蝶丸
  • 跋文・斎藤愼爾
  • 発行:砂子屋書房
  • 刊行年:1991年

あとがき

 わが師、齋藤愼爾の句集『夏への扉』を読んだのは五年ほど前だったかー。春日井建の短歌を読んだときに、わたしには短歌は作れない、と思ったと同じょうに、俳句は作れない、とおもったわたしの本が出る。

 新宿ゴールデン街にあるスナック『ナベサン』に勤めてはや七年。マスクーのナベさんが主宰する回究雑誌『七(ヘプタ)』に月々二十句を発表し続け、おもいがけず一冊にするだけの作品が溜まった。『七』の主要なメンバーには、ナベさんこと渡辺英網、詩人の清水稜、深夜叢書の齋藤慎爾、立風書房の宗田安正、俳人の大木あまり、大西泰世、映画監督で、ひのきかおるのペンネームを持つ東賜一、創拓社の阿久根末忠、表紙の高階礼以子、演劇批評の鴻英良、月蝕歌劇団主宰劇作家の高取英、種田山頭火で著名な村上護、作曲家の松村禎三、勝手に同人にさせてもらっている長谷川四郎さん、がいる。
『七』を創刊しよう、と決めたのは、草野心平の訃報をラジオで聞いた、その晩のことだ。それから毎月、それぞれ持ち寄った原稿をコピーして製本する手作業をかさね、もうかれこれ三十号を数える。
生活は月サイクルに変わり、季節が過ぎてからいつも、ああ、とおもい返す日々の、連続。
さくらも紫陽花も、ついに、見ることはなかった。
俳句をやっていて、季節惑がない、というのもおかしな話だが、季節は、わたしの内側にしか巡ってはこなかった。ともすればそこに咲く花々さえ飲み込もうとする現実ー店とと私のあり方とのギャップ、血、といったもの・・・。
 女に、戻る道はあるかー別の道があるだけだ。
 そしてたとえば、新たな角度から、憎しみしか持ったことのなかった父を見る。それはかつて、わたしに何か託した。彼の、横顔である。感謝している。
 今、現実の中で彼岸を見ている。
 この先、この世の楢山で、日常を詠めたらいい。

 解説をいただいた齋藤愼爾さん、帯文をくださった林あまりさん、この本を出すにあたってアドバイスをくださった岩波書店の山田馨さん、力づけてくださった同書店の田中博明さん、砂子屋書房の田村雅之さんにお礼を申し上げます。

六月二十二日